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● 音の話(その1)●
音は物質の振動
人間の五感の中で最も情報量が多いのは「視覚」でしょうが、「見聞」だとか「耳目を集める」などの言葉にも見られるように、「聴覚」も「視覚」と並べて語られることが多い感覚ですね。そして「視覚」が感知するものが「光」であるのに対して、「聴覚」が感知するのが、この項の主題、「音」です。
光と音はどちらも波の性質を持ち、回折や干渉などの波の基本的な性質に関しては、似たような振る舞いを見せます。しかし、光が電場や磁場という直接触れることのできない「場」の振動であるのに対して、音は実体のある物質の振動ですから、当然ながら光とは違った性質もいろいろと出て来ます。光は真空中でも伝わりますが、音は全く伝わりません(SF映画の宇宙戦争などのシーンでは派手な爆発音などが入っていることが多いですが、本当の真空の宇宙空間ではあのような音は聞こえないはずです)。逆に、光は通過できないものがたくさんありますが、音は、物さえあれば、多かれ少なかれ必ず伝わって行きます。光は水やガラスなどの中では空気中よりも速度が落ちますが、音は逆に速くなります。これらの性質は全て、音が物質の振動であることによるのです。この稿では、このような「音が伝わる様子」に重点を置いて見て行くことにしましょう。音の波としての性質については主に
音の話(その2)で扱います。
光は横波、音は縦波
我々が普通に聞く音が、空気を伝わって来る波であることは、特に説明するまでもないでしょう。そしてそれが「縦波」と呼ばれる種類の波であることも常識の範囲内かもしれませんが、話の順番として、一応見ておくことにします。まず、縦波と横波の違いですが、「水平方向に振動するのが横波で、垂直方向に振動するのが縦波」というのでは、もちろんありません。ここで言う「縦」とは、波の進行方向のことであり、「横」とは、それに垂直な方向のことです。視覚的に表せば、図1のような感じでしょう。どこか一つの点に注目してみれば、その点が横波では進行方向に垂直に、縦波では進行方向に振動していることがわかります。
図1 横波と縦波
横波は、例えばロープの端を持って素早く振った時に現われる形です。図1(a)で言えば、左端の部分を上下に振動させると、この上下方向のズレが右方向へ伝わって行く、ということですね。「光」は電場と磁場の振動が伝わって行くもので、その振動の方向は進行方向に対して垂直ですから「横波」です。(海の波も横波に見えるかもしれませんが、これは表面の水だけが楕円を描くように運動する表面波の一種なので、普通の横波ではありません。) 一方、縦波の代表格が「音」です。例えば図1(b)の左端に太鼓があると考えて、それを叩いたとしましょう。太鼓の皮が右に向かってドーンと膨らんで周りの空気を右に押し、その空気がさらに隣の空気を押し・・・・、というぐあいに右への動きが次々に伝わって行きます。次の瞬間には太鼓の皮は左に向かって動きますから、今度は周りの空気を左に引っ張り、この左への動きが伝わります。こうして、左右方向の振動が次から次へと送り出され、空気中を伝わって行くのです。これは見方を変えれば、空気がグッと圧縮された部分と、引き伸ばされてスカスカになった部分が交互になって移動して行く、ということであり、縦波が「疎密波」とも呼ばれる所以です。
ところで、波というのは振動が伝わる現象ですから、波を伝える媒質が振動してくれなければなりません。振動が起こるためには、媒質の一部が動いた時に、それを元の位置関係に引き戻そうとする「復元力」が働くことが必要です。変形を元に戻そうとする「弾力」と言ってもよいでしょう。横波と縦波では、この復元力が発生する様子がちょっと違っています。
横波の場合、例えば図1(a)の例では、媒質は上下方向に振動しています。この上下振動が起こるためには、どこかが上向きにズレた時には下向きに、下向きにズレた時には上向きに復元力が働かなければなりません。その力はどこから来るかと言うと、実は動いた部分の隣からです。ズレを起こした時に、「そうはさせじ」と隣から力が働き、両者の位置関係を元に戻そうとするのです。このようなズレに対する復元力は、隣どうしがしっかりと結び付いた固体でなければ発生しませんから、横波が伝わるのは固体だけ、ということになります。液体や気体は、ズレたらズレたままで元には戻らず、自在に変形するので、横波は伝わらないのです。
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原子レベルの微小な世界では、液体中でも固体中と同じような現象が起こることが理論的に予想されていて、最近これが実験的に確認されたようです。とは言っても、伝わる距離は1nm(100万分の1mm)以下、寿命は1ps(1兆分の1秒)以下ということですから、普段目にするようなスケールの話ではありません。また、これとは別に、「横波を発生するスピーカー」なる物の話を、ちょくちょく耳にすることがあります。音が空気中を横波として伝わるので減衰が少なく、音質もよいのだそうですが、こちらについては私の頭ではちょっと理解できませんので、コメントは差し控えます。
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それでは、縦波の場合はどうでしょうか。今度は単なる位置ズレではなくて、媒質の中に圧縮されている部分と引き伸ばされている部分ができます(図1(b))。液体や気体は単純なズレには無関心でしたが、このような圧力の変化に対してはしっかりと弾力を示します。圧縮された部分は圧力が高いですから拡がろうとしますし、引き伸ばされた部分は圧力が低いので縮もうとするのです。空気の入った注射器の先端を閉じてピストンを押し引きすれば、それに逆らう力を感じますね。あれと同じことです。というわけで、媒質が液体であっても気体であっても、進行方向にはきっちり復元力が働き、振動が起こります。つまり縦波は媒質の種類に依らず伝わることができるのです。これが我々が普通に聞いている、空気中を伝わって来る音の正体です。
ここで主題に戻って、「音」とは、どのような波のことを言うのか、ということについてもう一度考えてみましょう。普通に「音」と言えば空気中を伝わって来る縦波であり、その振動が鼓膜を震わせ、信号が脳に伝えられることで音として認識されます。その意味では、人間が感知できる20Hz〜20kHzの縦波が「音」ということになりますね。ただし一般的には、これよりも低い周波数の波(超低周波音)や高い周波数の波(超音波)も含めて「音」として扱います。これに対して、例えばレールを通して遠くの電車の音が聞こえるように、固体や液体を通じて音が伝わって来るケースも確かにあります。「骨伝導」では、骨を通じて振動が直接に鼓膜の奥の器官に伝わるわけで、その意味では、固体や液体を伝わる振動も「音」と考えてもよさそうです。さらにそこには、縦波だけではなく横波の要素も含まれている場合もあります。というわけで、この稿では、媒質の種類を問わず、媒質の持つ弾力を介して伝わる振動(弾性波)全般を、広い意味で「音」として扱うことにします。
縦波を横波のように表す方法
音は普通は縦波なわけですが、図などに表す時に縦波はどうも扱いづらいし、見た目でもわかりにくいですね。そこで、実際には縦波であっても、横波の形で表示することがよくあります。縦波でも横波でも波としての性質にほとんど違いはありませんから、横波で表しても不都合はあまりないのです。とは言え、デタラメに横波に変えてしまうわけには行きませんから、普通は図2のような方法で変換します。真ん中の図が縦波の状態を表していますが、これを(a), (b)の2通りの方法で横波に書き直すことができるのです。
図2 縦波を横波で表示する2つの方法
(a)は、媒質のそれぞれの場所が元の位置からどれくらい動いたか(これを「変位」と呼びます)を上下方向に書き直す方法を示しています。真ん中の図で、1番の位置にあった線は、元の位置から赤の矢印で示した分だけ右に移動していますから、(a)ではその矢印の分だけ上にプロットします。同様に2番の位置にあった線は青の矢印の分だけ右に、3番の位置にあった線は白の矢印の分だけ右に動いていますから、それぞれの矢印に相当する分だけ上にプロットすることになります。4番の位置の線は元の位置から動いていませんから、プロットは基準線の上(つまりゼロ)です。一方、5番、6番、7番の位置にあった線もそれぞれ白、青、赤の矢印の分だけ移動していますが、今度は移動の方向が左ですから、(a)では下側(マイナス側)にプロットされることになります。このようにして左右の変位を上下方向に焼き直すことで、(a)のような横波が描けるのです。
これに対して、もう一つ別の方法があります。(b)のように、圧力の変化を縦方向にプロットするのです。例えば、図の4番の線の附近は圧力が最も高くなっていますから(線が最も混み合っています)、(b)では一番上に来ます。逆に0番と8番は最もスカスカですから一番下にプロットされ、2番や6番の部分は圧力が元のままですから、基準線上にプロットされるのです。この方法ですと、(a)と比べてちょうど1/4波長に相当する分、波の位置(位相)がズレます。微積分を知っている人ならば、これが互いに微分・積分の関係にあることはすぐにわかるでしょう。
普通は(a)の変位を使った表示が使われることが多いのですが、進行方向が違う波を重ね合わせる時などには、(b)の圧力表示の方が扱いやすい場合もあります。圧力は単純に足し合わせればよいのですが、変位は、方向も考えて足し引きしなければならないからです。この辺りの話は、
音の話(その2)の「音の反射」や「干渉」のところで、もう一度詳しく取り上げます。なお、この図では横方向は空間的な位置を示していますが、位置を媒質上の一点に固定して、そこを通る波の様子を時間と共に追いかける場合もあります。この場合は、見た目は同じように見えますが、横軸は位置ではなくて時間になります。
音の3要素
身の回りにはいろいろな音が溢れていますが、これらの音の特徴は3つの要素で表すことができます。「大きさ(強さ)」と「高さ(音程)」と「音色」です。これも初歩的な話ではありますが、図3で簡単におさらいしておきましょう。ここでは先ほどの横波表示を使います。横軸は時間です。
図3 音の3要素
「音の大きさ」は図3(a)のように波の振れ幅、つまり振幅で表されます。厳密に言えば、振幅の2乗が波のエネルギーですから、振幅が2倍ならば音のエネルギーは4倍です。ただし、人間の耳は音のエネルギーが1から10になった時と10から100になった時とで同じだけ大きくなったように感じるので、エネルギーそのままではなくて、エネルギーの対数を取った方が感覚にはよく合います。そこで、人間が聞くことができる最小の音(音の圧力に基づいて厳密に数値が決められています)を基準にして、その何倍のエネルギーを持っているかを対数で表示する、という方法で音の大きさを表すのが普通です。これが「ベル(B)」という単位です。実際にはベルの10分の1である「デシベル(dB)」が使われることが多く、dBが10増えれば(つまりBが1増えれば)エネルギーは10倍で、振幅は3.16倍、ということになります。逆に振幅が10倍になればエネルギーは100倍ですから、dBは20増えるのです。具体的な例を挙げると、人間がやっと聞くことができる音はdBの基準音ですから0dB、ささやき声は30dB、普通の会話は60dB、賑やかな街中が80dB、電車が通過する時のガード下が100dBと言われています。普通の会話と賑やかな街中では、音の振幅は10倍、エネルギーは100倍も違うのです。
音の大きさにはもう一つ、「ホン」という単位も使われていました。人間が音をうるさく感じる感じ方は音の周波数によって違うため、dBの値に周波数ごとに補正を加えて、騒音などをより感覚に近づけて捉えようとしたものです。ところが、定義の仕方や補正の方法が一本化できず、いろいろと混乱を招くことが多かったせいでしょうか、最近は耳にすることが少なくなりました。
次に「音の高さ」ですが、これは図3(b)に示した単位時間当たりの振動数、つまり周波数の違い、ということで、特に説明の必要はないでしょう。単位は1秒当たりの振動の数=Hz(ヘルツ)です。先にも書いたように、人間が感じることができる音の周波数は20Hz〜20kHzの範囲で、これよりも低い周波数の音が「超低周波音」、高い周波数の音が「超音波」です。人間の声は、普通の会話の場合で300Hz〜800Hz、といったところです。また、音階の基準に使う「ハ長調のラ」の音は440Hzと決められています。時報の初めの3音(ピ・ピ・ピ・ポーンのピ・ピ・ピの部分)で有名ですね。1オクターブ上の「ラ」は880Hz、1オクターブ下の「ラ」は220Hzで、1オクターブごとに倍々で変化しますから、人間の耳で、上下4〜5オクターブずつぐらいは聞き取れることになります。その他の音階は1オクターブの間を分割することで決められます。一定の比率で分割する方式や和音の響きを重視して決める方式などがあるそうですが、このあたりの話はかなり奥が深いので、興味のある方は音楽の専門書を見てください。
最後は「音色」です。世の中の実際の音は図3(a)や(b)のようなきれいな波形をしているわけではなく、図3(c)のように、基準になる波に、さらにいろいろな波が重なった複雑な形になっています。同じ高さの音でも、人の声やピアノの音、バイオリンの音などそれぞれ違うのは、この波形の違いによるのです。これが「音色」と呼ばれるもので、逆に複雑さの全くない図3(a)や(b)のような音は、波形はきれいですが、どちらかと言うと耳障りな、無味乾燥な音になってしまいます。
「音色」(=波形)は、「大きさ」(=振幅)や「高さ」(=周波数)と違って、簡単な数字で表現することができないのですが、それでも特徴をもう少し掴みやすくすることはできます。ある周波数の成分がどのくらい含まれているかを調べるのです。この操作に使う手法が「フーリエ変換」です。フーリエ変換の原理については
表面分析の話に書いていますのでそれを参照してもらうとして、ここでは結果だけを示しましょう。図4の左側が元の波形(横軸は時間)で、右側がフーリエ変換後の波形(横軸は周波数)です。ここに挙げた4種類は全て基本の周波数が同じ(つまり音の高さが同じ)ですが、その他の成分の割合が違うために、ずいぶん波形が違っています。
図4 周波数成分の含まれ方で音色が変わる
図4(a)は無味乾燥な音で、含まれる周波数成分は一つだけ。聞いていて気持ちのよい音ではありません。これが(b)や(c)になると、高い周波数の成分(いわゆる倍音)が入って来るために、細かなギザギザのある複雑な波形になっています。楽器の音などは、たいていこのような複雑な波形を持っていて、それぞれ独特の響きのある音色になるのです。
図4(d)は周波数の分布にちょっと規則性があります。基準の周波数に対して、周波数2倍の振動が2分の1、周波数4倍の振動が4分の1・・・・・、というように、強度が周波数に反比例して下がって行くのです。これが「1/fゆらぎ」と呼ばれる振動で、小川のせせらぎや木の葉のざわめき、虫の声など、自然界にある心地よい音は、このような1/fゆらぎになっていると言われています。音だけでなく、そよ風の強弱や炎の揺らめきなども1/fゆらぎになっているそうで、そう言えば1/fゆらぎの風を送る扇風機、なども売られていました。
なお、図には示していませんが、全ての周波数成分が均等に含まれる振動もあります。こうなるともう音色どころの話ではなく単なる雑音で、「ホワイトノイズ」と呼ばれます。光は全ての波長を含んでいると白色になることから(
色の話参照)、音に対しても「ホワイト」という呼び名が使われるのです。ついでに言っておくと、先の1/fゆらぎも、自然界にたくさんあるため、バックグラウンドのノイズとして現われることがよくあります。この場合、周波数パターンを光に当てはめるとピンク色になりますので、ホワイトノイズに対してピンクノイズと呼ばれます(周波数の低い赤色が強く、青に向かうほど弱くなるのでピンク色になるのです)。
普通に耳にする音は、ほとんどの場合、いろいろな周波数の成分を含んだ複雑な波形をしています。図4(a)のような単純な形が現われるのは、コイルや
圧電素子を使って強制的に一定の周波数の振動を作り出した、いわゆる「電子音」ぐらいでしょう。ところが、もっと単純な仕組みで、図4(a)に近い純粋な音を作り出す道具があります。音叉です。
図5 特定の周波数の音だけを出す「音叉」
音叉は細長い金属棒をU字型に曲げて柄を付けた形をしており、これを叩くと、二股に分かれた先の部分がユラユラ揺れる振動を起こして音を出します(この音を増幅するために、図のように箱に固定されていることが多いです)。この時、湾曲した部分が振動のパターンを制限するために、図5(a)のような基準となる振動の他には、図5(b)や、あるいはもっと周波数の大きい細かい振動しかできません。このような周波数の大きい音はすぐに減衰してしまう性質がありますので、叩いた直後は複数の成分が混じっていたものが、結局は(a)の振動だけになり、一つの周波数だけの純粋な音が残るのです。
音は「硬く」て「軽い」ものほど速く伝わる
媒質の振動が伝わるのが波ですから、振動が速いか遅いかで波の伝わる速さも違って来ます。言うまでもなく、振動が速いほど波が伝わるのも速いわけですが、この振動の速さには、主に2つの要素が関係しています。単純なモデルとして、つる巻きバネの先にオモリを付けたものを考えましょう。このバネの振動の速さを決めるのは、バネの「硬さ」とオモリの「重さ」です。バネが硬い、つまり変形させるのに力が必要なほど、振動は速くなります。また、オモリが重くなるほど、動きが鈍くなって振動は遅くなります。同じことが音の波にも言えて、波を伝える媒質が硬いほど、また媒質が軽いほど、振動は速くなり、音は速く伝わるのです。このことを、気体について見てみましょう。
音速を決める「硬さ」と「重さ」のうち、「重さ」については、特に説明するまでもないでしょう。重い気体ほど動きが鈍く、音速は遅くなります。それでは気体の「硬さ」とは何か、ということですが、これは「圧縮のしにくさ」と言い換えることができます。(引っ張りでも同じですが、めんどうなので圧縮の方だけで説明します)
気体を圧縮すると、それだけ狭い空間に多数の分子が閉じ込められ、分子の衝突回数が増えます。これがマクロ的には圧力の増加、つまり圧縮に抵抗する力となって現われることになります。ですから、圧縮した時に圧力がどのくらい上がるかで、気体の硬さが決まることになるのです。と、ここで疑問が出て来るかもしれません。温度一定で気体の体積を半分にすると圧力は2倍になるはず(ボイルの法則)。となると、気体の種類によらず、硬さは全て同じになってしまう・・・・のでしょうか。
答は「ノー」で、「温度一定」というところに間違いがあります。音の振動は非常に速いので、圧縮に伴う熱の出入りが間に合わず、気体自体の温度は上昇するのです(このような熱の出入りのない変化を「断熱変化」と呼びます)。温度が上がればそれに伴って圧力も上がって圧縮しにくくなりますから、当然、温度変化のない場合よりも気体は硬くなる、ということになります。
気体の温度とは、分子が飛び回る速さのことです。そして同じエネルギーをもらった時に温度がどれだけ上がるか(分子がどれだけ速く飛び回るようになるか)は、気体分子の運動の様子で決まります。ヘリウムやアルゴンのような球形の単原子分子の場合、エネルギーが全部、分子が飛び回るスピードを上げるのに使われますから、温度は上がりやすくなります。これに対して酸素や窒素などの二原子分子や、メタンなどのもっと複雑な分子では、分子の回転運動にもエネルギーが分配されるので、飛び回るスピードへの分け前が減り、温度の上昇は低く抑えられます。つまり、複雑な構造の分子の方が温度変化が小さく、「軟らかい」ということになるのです(「比熱」に基づくもっと詳しい説明が、熱力学の専門書などに載っています)。ですから、同じ重さ(分子量)で比較すると、単原子分子よりも二原子分子、二原子分子よりも三原子分子の気体の方が、音速は遅くなります。とは言っても、温度変化の差は最大で30%ぐらいで、音速には10%ちょっとしか影響しませんから、さほど大きな違いではありません。その様子を示したのが図6です。
図6 気体中での音速(20℃での計算値)
この図は、気体中での音速を、いろいろな分子量の気体について計算したものです(音速は、比熱と分子量から計算できます)。図の横軸は分子量で、グラフ上に、主な気体の位置も示しておきました。単原子分子と二原子分子、そして三原子以上の分子では、先に書いたように断熱変化の時の温度変化が違いますから、グラフは3本あります。しかし3本の差はほんのわずかで、分子量の影響の方がずっと大きいことがわかると思います。音速は最も軽い水素中で一番速く、1300m/sを超えます。空気中では水素中の4分の1程度で340m/s、さらに重い二酸化炭素中では300m/s以下になってしまいます。
空気中での音速が340m/sであることを覚えておくと、カミナリまでの距離を見積もることができます。イナズマの「ピカッ」から「ゴロゴロ」までの時間を計ればよいわけで、光の方は瞬時に届くとして、音が聞こえるまでの秒数に340を掛ければ、それがカミナリが発生した場所までの距離になります。5秒かかれば、1.7km離れている、ということですね。
気体中の音速を考える際に一つ注意が必要なのは、圧力や温度の影響です。液体や固体と違って、気体の場合には圧縮や膨張の程度が桁違いですから、無視するわけには行きません。
まず圧力の方ですが、例えば、1気圧の気体を一定温度で圧縮して、体積を半分にするには2気圧の力が必要です。これに対して元々2気圧であった気体の体積を半分に圧縮するには、さらに2気圧上乗せして4気圧にしなければなりません。同じ量の変形を起こすのに2倍の力を要するわけですから、これは硬さが2倍になったことを意味します。即ち、「気体は圧力が増すと硬くなる」のです。硬くなれば音速も大きくなるはずですね。ところが、圧力が高くなった時に増加するのは硬さだけではありません。重さ(密度)の方も同じ割合で大きくなります。つまり、「圧力が増すと重くなる」のです。分子一個一個が重くなるわけではありませんが、振動させる時に動かさなければならない分子の数が増えるのですから同じことです。というわけで、「硬くなる」効果と「重くなる」効果が相殺されて、圧力が変わっても音速は変化しない、ということになります。ちょっと意外でしょうか。
一方、圧力を変えずに温度を上げると、気体は膨張します。その分、密度が下がりますから、音は速く伝わるようになります。その変化は、空気の場合で温度が10℃変わるごとに毎秒約6mです。空気中の音速は約340m/sですから、気温30℃の真夏と、気温0℃の真冬では、その差は18m/s。真夏の方が音速は5%ほど速いのです。
液体や固体の中では音はもっと速い
「硬く」て「軽い」ほど音速が大きくなる、という状況は、液体・固体でも同じです。液体や固体中では原子や分子が互いに結び付き、束縛し合っていますから、バネでつないだオモリのモデルはもっとしっくり来るでしょう。バネの硬さ(
弾性率)やオモリの重さ(密度)は物質によってほぼ決まっていますから、それによって音速も物質ごとに決まるのです。
図7 いろいろな液体・固体の中での音速
図7の左側はいろいろな物質の弾性率と密度、右側はその物質中での音速を表わしています。「弾性率」というのは、物を変形させるのに必要な力の大きさを表す値で、たいていの固体は1011N/m2のレベルですが、これは、1%変形させるのに1cm2当たり10トンの力が必要、ということです。同じ「弾性率」と言っても、縦波に関係する(圧縮・引っ張りに対する)弾性率と、横波に関係する(ズレに対する)弾性率とでは大きさが違いますから、ここにはその両方を示しています(もちろん、液体である水にはズレに対する弾性はなく、横波は伝わりません)。
図を見てまず気が付くのは、全ての固体で、圧縮・引っ張りに対する弾性率の方が、ズレに対する弾性率よりも数倍大きくなっていることです(固体の両端を持って変形させる時に、ズレるように変形させるのと押し縮めるように変形させるのとではどちらが力が必要か、ということは直感的に理解できるのではないでしょうか)。その結果、縦波の方が横波よりも2倍程度速く伝わることになります。地震の時に縦波(P波)が横波(S波)より先に伝わるのも、地盤が圧縮・引っ張りに対して「より硬い」ことによるのです。
次に、物質による違いを見てみましょう。一番下には3種類の金属の例が示されています。このうち金とアルミを比べると、弾性率では金の方がやや上ですが、密度の違いが大きく効いて、音速は金の方が遅くなります。鉄は、密度では金とアルミの中間ですが、弾性率が大きいので、アルミと同程度の音速になっています。これに対して「硬くて軽い」物質の代表格であるセラミックスの類では音速は非常に大きく、図に示した酸化チタンの例では、縦波の速度は秒速10kmに迫るレベルです。
同じ固体でも、プラスティック類では音速はグッと落ちます。確かに軽いのですが、非常に軟らかいため、ポリエチレンなどでは酸化チタンの4分の1以下、金属と比べても半分程度の音速しかありません。図には示していませんが、さらに軟らかいゴム類では、音速はもっと遅くなります。
上から2番目は氷です。密度は1以下で軽いのですが、かなり軟らかい部類に入るので、音速は金属と同程度です。これが融けて水になるとさらに軟らかくなり、ズレに対する弾性は完全に失われます。圧縮・引っ張りに対する弾性も固体と比べるとはるかに小さく、音速はポリエチレンよりも遅い、1400m/s程度になります。それでも空気中と比べれば4倍以上。気体と比べて液体の密度は桁違いに大きいのですが、「硬さ」の違いはもっと大きく、密度の不利を補って、さらにお釣りが来るのです。
音はどこまでも伝わる・・・わけではない
空気中を伝わる音は、池に石を投げ込んだ時に波紋が同心円状に拡がるように、音源を中心として四方八方に球面状に拡がって行くのが普通です。そうなると、音源から遠ざかるほど多くの空気を振動させなければなりませんから、それだけ音は弱くなって行きます。距離が2倍になれば、音の強さは4分の1になるのです。このようにして音は減衰して行き、ある程度離れると聞こえなくなってしまいます。
音の拡がりを狭い範囲に限定してしまえば、減衰はかなり抑えられるはずです。この目的に使われるのがメガホンです。ここで言うメガホンは、もちろん電気的に音を増幅するものではなく、単に紙やプラスティックを円錐形にしたものですが、これだけでも音が拡がる範囲はかなり狭められますから、ずいぶん効果があるのです(この時、円筒形ではなく円錐形にするのは、メガホンの出口のところでの反射を減らして、音が効率よく出て行くようにするためです。詳しい説明は、
音の話(その2)の「音の反射」のところで出て来ます)。これをもっと進めたのが、公園などによく設置されている伝声管です。単なる中空の長い管ですが、音がその中に限定されて全く拡がりませんので、数十mぐらいなら楽々会話ができます(外の雑音が入って来ない、というのも重要な要素ですが)。伝声管のいいところは、途中が曲がりくねっていても全く問題ないことです。複雑に入り組んだ建物の中で部屋どうしをつなぐことも可能ですから、船などでは今でも活躍しているようです。
伝声管を使っても、いくらでも遠く離れたところで会話ができるわけではありません。拡がる要素が全くない場合でも、必ず音の減衰は起こります。その大きな理由の一つは、空気が圧縮・膨張を繰り返す過程で発生する熱の一部が外に逃げてしまうことにあります。音は外部との熱のやり取りがない断熱変化である、と書きましたが、100%外界との交渉がないわけではなく、やはり一部のエネルギーは熱となって失われるのです。また、気体にも少ないながら粘り気(粘性)があります。粘性がある媒質の中で物を動かそうとすれば、当然抵抗に遭いますから、ここでエネルギーをロスしてしまいます。空気の動きが空気抵抗に遭う、ということですね(
粘弾性の話、
流動の話参照)。さらに、空気が他の物(伝声管の壁とか地面とか)に接触している場合、それに振動の一部が伝わってエネルギーを消費してしまうこともあります。これらのエネルギー消費によって、空気中を伝わる音は大きく減衰することになるわけで、特に振動の激しい高い音ほど減衰は大きくなります。
これに対して液体や固体中では、気体中とはかなり状況が違います。液体や固体は「硬い」ので、気体のように大幅に圧縮されたり膨張したりはしませんから、音波が伝わる時にも媒質自体の動きはごくわずかです。そのため、圧縮に伴う熱の発生も非常に小さく、音のエネルギーが熱として逃げて行く割合が少ないのです。また、動きが小さいということは、粘性から来る抵抗も受けにくい、ということを意味します。このような理由で、液体や固体の中では、気体中に比べて音の減衰は非常に少なく、はるかに遠くまで伝わるのです。
高速で遠くまで伝わるということから、液体中や固体中では情報を伝える手段として音が非常に有効になります。海中でイルカが超音波を利用していることは有名ですし、クジラの歌声も同様に、数百キロ以上も離れた仲間とのコミュニケーションに使われているそうです。人間も魚の群れを探知するのに超音波を使っていますね。また、音を使って建物のひび割れを探す、などというのも、音が固体中を減衰しないで遠くまで伝わる、という性質をうまく利用したものと言えます。
それでは、音を遠くまで伝えるには、空気ではなく固体などで間を満たせばいいのでしょうか? 先の伝声管も、中空ではなくて何かの固体で管内を埋めた方が声がよく届くのでしょうか? どうも直感的に少し違うような気がしますね。実際、固体で満たした伝声管などは、全く用をなさないのです。これは、固体と気体の境目で、音の受け渡しがうまく行かないことによります。
図8に、このことを模式的に示してみました。中央の青い玉で表した部分が固体で、例えば角材のようなものを考えればいいでしょう。角材は硬いですから、玉どうしは太いバネでつながっています。両側の黄色い玉で表した部分は気体(例えば空気)で、玉をつなぐバネは細く弱々しいものになっています。また角材と空気では密度も相当に違いますから、青い玉は重く、黄色い玉はずっと軽いと考えます。
図8 固体と気体の境目では、音はうまく伝わらない
図の左側から音が伝わって来たとします。左からグッと圧縮の力がかかり、黄色い玉は右に大きく動きます。(1)→(2)のように、黄色い玉どうしならば、この動きは問題なく受け渡されます。ところが(2)→(3)のように青い玉のところに行こうとすると、青い玉は重く、しかもバネが強いために、ほとんど動きを伝えることができません。青い玉はほんの少ししか動けないのです。(3)(4)(5)で青い玉がほとんど振動しないわけですから、角材から空気中に出て行く(5)→(6)のところでも、右側の黄色い玉を大きく動かすことはできません。このように、間に固体が挟まっていると、左側の音は右側にはほとんど伝わらないのです。
気体から固体中に音が入って行けないのならば、固体を直接振動させたらどうでしょうか。例えば、角材の一端をコンと叩いてみるのです。この場合も、硬い角材はちょっとしか振動しません。もちろん空気から音が送られて来た場合と比べれば振動は大きいでしょうが、それでも微々たるものです。これでは空気を圧縮したり引き伸ばしたりする能力はほとんどないわけで、やはり大きな音を空気中に放出することはできない、ということになります。ついでに言っておくと、角材を叩いた時には、縦波だけでなく横波も発生するでしょう。この横波も、縦波よりは遅いですが、角材の中を走って反対側まで到達します。が、ここで縦波よりもさらに悲劇的な運命が待っています。空気は横波を伝えることはできませんから、角材の端は空しくユラユラら揺れるだけで、全く振動を受け取ってもらえないのです。そして受け取ってもらえなかった振動はどうなるかと言うと、境目ではね返って、もと来た道を戻るのです。
このように、硬さが違う物の境目では振動の様子が違いすぎて、音は効率よく伝わることができません。イルカやクジラの会話は、最初から最後まで同じ水中だからこそ成り立つのであって、途中に空気を挟んではダメなのです。それならば、経路の途中に空気を挟まなければ、固体を通して音をやり取りすることができるはずですね。実際にこれは可能で、角材を叩いた時のように固体に直接伝えられた音を、その固体に直接耳を当てて聞けばよいのです。レールに耳を当てて遠くを走っている電車の音を聞く(危ないのでヤメましょう)とか、壁に耳を当てて隣の物音を聞く(いい趣味ではないのでヤメましょう)とか、木の幹に耳を当てて水の流れる音を聞く(これはいいですね)とか、いろいろ考えられますね。これらの場合、骨を通じて固体の振動が直に鼓膜の奥の器官に伝わる、一種の骨伝導を利用しています。このような方法を採れば、減衰が少なく速く伝わるという固体の特徴を活かして、小さな音も効率よく捕まえることができるのです。
大きく振動する薄膜・弦
硬い固体は振動が小さいために、気体との音の受け渡しがうまく行かない、というのは先に説明した通りですが、角材のような塊ではなくて、薄い膜や細い弦などの場合には、ちょっと様子が違って来ます。この場合は、膜や弦全体が太鼓の皮のように飛び出したり引っ込んだりの振動を起こしますから、弱い空気の力でもそこそこ動かすことができ、また逆に、その動きが空気を振動させて、音を受け渡すことができるのです(図9)。
図9 膜や弦が音を伝える
しかし、これは膜(弦)全体がペコペコ動いているわけですから、固体の中を音波が伝わる現象とは違います。図9の右側に模式的に示したように、膜が空気の一部になったかのごとく振動して波を伝えているのであって、膜の振動(実はこれは横波)そのものが「音波」であるわけではないのです。
空気を伝わって来た音が膜や弦を震わせるのではなくて、膜や弦を叩いて直接振動させた場合にも同じことが言えます。角材の場合と違って膜(弦)は大きく振動しますから、十分に空気を押し引きすることが可能で、大きな音を空気中に送り出すことができるのです。楽器の類が音を発する時は、正にこういうことが起こっています。バイオリンなどの弦の振動やオーボエなどのリードの振動、先の太鼓の皮の振動などは、それ自体が「音」であるわけではありません。これらは全体が大きく波打つ横波の一種です。この横波が空気を押したり引いたりすることで縦波を発生させ、それが音となって伝わるのです。
それでは、次にこんなことを考えてみましょう。ここに太鼓Aがあります。そして少し離れたところに、同じタイプの別の太鼓Bが向き合うように置いてあるとします。太鼓Aをドーンと叩いたら、何が起こるでしょうか。叩くことによって太鼓の皮がペコペコ振動し、その振動が空気に伝わって縦波、つまり音が発生します。この音は空気中を伝わり、やがて太鼓Bのところに届きます。すると図9と同じように、これが太鼓Bの皮を震わせるのです。これは人間が鼓膜で音を拾うのと全く同じ原理です。この時、空気を伝わる音は減衰しやすいので、空気の代わりに何か固体を使って振動を伝えたら、もっと効率がよくなるはずですね。かと言って、硬い金属棒などでつないだら、太鼓の皮が振動できなくなってしまいます。そこで、細くて軽い「糸」でつなぐ、という考え方が出て来ます。これが皆さんご存知の糸電話です。
意外に奥が深い 糸電話
よく知られているように、糸電話は2個の紙コップなどの底を糸でつないだだけの簡単な物で、糸をピンと張るようにして使います。その基本的な原理を示すと、およそ図10のようになるでしょう。
図10 糸電話の原理
糸をピンと張った時は図10の(1)のような状態になっていて、糸に引っ張られたコップの底が少し外側に飛び出しています。この状態になっているところで、左のコップに音を送り込んでみましょう。音の圧力の高い部分がコップの底に届くと、その圧力に押されて(2)のように底が大きく飛び出します。すると、ピンと張っていた糸がわずかに弛み(糸全体がベローンと弛むのではなく、ピンと張っている力がちょっと弱くなるだけです)、右側のコップの底が少し内側へ戻ると同時に、附近の空気を圧縮して右へ送り出します。次に、(3)のように左のコップの底に音の低圧部分がやって来ると、今度はコップの底は内側に引き込まれます。その分、糸は強く張るようになり、右側のコップの底が外側に引き出されて、コップの内部に低圧部分が発生するのです。このようにして、左のコップに送り込まれた音のパターンが、右側のコップの中に忠実に再現されることになります。これが糸電話で会話ができる原理です。もしも初めに糸がピンと張っていなくて弛んでいたら、左のコップの底のペコペコ振動はすべて弛みに吸収されてしまいますから、反対側のコップには声が届きません。
ところで、ここでは糸がピンと張ったり弛んだり、という表現を使いましたが、実際には糸全体が一瞬でピンと張ったり、全体が一瞬で弛んだりするわけではありません(もしも左のコップの振動が一瞬で右のコップに伝わるのであれば、光よりも速く信号が伝わることになってしまいます)。実際には、例えば(3)のように左のコップの底が窪むと、糸のコップに接している部分が左に引っ張られ、それが糸の右隣の部分を引っ張り、それがまた右隣を引っ張り・・・・・、という具合に、次々に張力が伝わって行きます。(2)の場合も同じように、張力が少し弱くなった部分が次々に右へ右へと伝わって行くわけです。これが縦波そのものであることは容易に理解できるでしょう。つまり糸電話では、固体である糸を縦波が走ることで音を伝えているのです。そして、固体と気体の間で音をうまく受け渡しするために、ペコペコ振動する薄膜(コップの底)を利用しているのです。
時々「糸電話の糸を伝わるのは横波」という記述を見ることがあります。基本的には「糸電話で音を伝えるのは縦波」と考えればいいのですが、横波の話も、100%間違いとは言い切れない部分もあります。と言うのは、糸を張ったり弛めたりすれば、当然、糸が揺れて横波も発生するからです(糸の両端を持って急に引っ張れば、糸はビーンと振動しますよね)。そして糸が上下左右に揺れればコップの底は引っ張られますから、何らかの音は出ることになるのです。ただし、この横波の振動は、コップに送り込まれた音の振動とピッタリ一致するとは限りませんし、縦波よりも遅れて届き、減衰もしやすいですから、音を伝える主役にはなれません。どちらかと言うと、声に被さる雑音のような形で現われることになります。
最後に、糸電話がらみのトピックスを2つ。一つ目は、糸電話とよく似た構造の楽器の話です。ご存知の人も多いと思いますが、柱の間に絹糸を張って、その途中に糸電話のようにコップを取り付けた「ストリングラフィー」という楽器があるそうです。糸を弾いたり擦ったりして音を出すのですが、実はコレ、糸電話のようで糸電話ではない、と考えた方がよさそうです。なぜなら、糸電話で音を伝えるのが縦波であるのに対して、この楽器で糸を弾いたり擦ったりして発生するのは主に横波で、この横波がコップを震わせて空気中に縦波を送り出す仕組みになっているからです。その点では、弦の振動で発生した音を胴体で大きくして空気中に送り出すハープやギターなどの弦楽器と同じ、と言えます。もちろん先ほど書いたように、糸電話でも横波に起因する音が混じる場合がありますし、通話中に糸をピンと弾けばその振動が聞こえますから、同じような現象が起こっていると言えなくもありません。しかし、縦波と横波のどちらをメインに据えるか、という点で、原理的に違っているのです。
二つ目は、糸の代わりにつる巻きバネを使った「バネ電話」です。この場合、コップの底のペコペコがバネの伸び縮みになって伝わって行きますから、糸の場合よりも、縦波が音を運んでいるイメージを描きやすいでしょう。それでは、糸をバネに替えることで、どのような違いが出て来るかと言うと、一番大きな違いは音を伝える媒質の「硬さ」です。
縦波に関係する「硬さ」というのは普通は弾性率で表されるわけですが、普通の固体の弾性率は図7にも示しているように、非常に大きな値です。糸の場合は金属やセラミックスと比べればずっと小さいですが、それでもポリエチレンなどと同じレベルで、109N/m2ぐらいはあります。これは直径0.5mmの糸を10%伸ばすのに2kgの力を要する、ということを意味します。これに対して、つる巻きバネを伸び縮みさせるのには、そんなに力は必要ありません。アノ独特の形のために、材料自体がほんのちょっと変形するだけで、全体が大きく伸び縮みできるからです。バネ電話に使うようなバネならば、100g程度のオモリをぶら下げるだけで簡単に倍ぐらいには伸びてしまうでしょう。というわけで、縦波に関しては、バネは糸よりもはるかに「軟らかい」と考えられます。その結果、バネ電話が音を伝える速度は、糸電話よりもずっと遅くなるのです。実際の速さはどのくらいか、ということですが、糸電話の場合、糸の材質や太さによっても違いますし、張り具合によって硬さが変わることもありますから一概には言えませんが、空気中の数倍、数百m/s程度ではないでしょうか。一方、つる巻きバネの場合は、これも幅が大きいですが、せいぜい十数m/sぐらいでしょう。
この音速の違いにより、糸電話ではほとんど見られない面白い現象がバネ電話では起こります。声にエコーがかかるのです。糸やバネを伝わった音は、反対側のコップの底に届くと、一部がはね返って戻って来ます。戻った音は元のコップでまたはね返り、反対側でまたはね返り、ということを繰り返し、何回も往復しながら減衰して行きます。この時、糸電話では音速が大きいですから、例えば音速が500m/sで、糸の長さが2mだとすると、一往復するのに要する時間はたったの0.008秒。つまり0.008秒間隔で反射音が次々に届くことになります。この間隔では、人間の耳で別の音として聞き分けることはできませんし、0.1秒もかからないうちに何往復もして減衰してしまいますから、エコーを感じることはできません。ところがバネ電話では、音速を10m/sとすると音が一往復するのに0.4秒もかかります。これだけ遅れて反射音が何度も届くために、声に見事なエコーがかかることになるのです。
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