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● ミズカビの話 ●
飼育魚の敵 ミズカビ
熱帯魚などを飼っている人は、魚の体の表面にフワフワした綿毛状のものが付く病気、ミズカビ病のことをご存知でしょう。死んだ魚だけでなく、生きた魚でも、弱っていたり、傷があったりすると、この病気にやられることが多くなります。このミズカビ病を起こしているのが、その名のとおり「ミズカビ」です。
ミズカビというのはシイタケやコウボなどと同じ菌類の一種です。私が子供のころは「藻菌類」というグループに入っていましたが、キノコやカビの分類は、その後ずいぶん変わってきたようで、現在は卵菌という分類になっているようです(菌類の分類はなかなか確定しないようですので、また変わるかもしれません)。それはともかく、水の中に棲むカビの仲間、ということです。なお、厳密には、ここで言う「ミズカビ」は一種類のカビではなく、ワタカビやらミズカビやらにさらに細かく分類されるのですが、とりあえずは、そこまでの区別はしないでおきます。
カビの胞子は空気中にたくさん漂っていて、栄養源になるものに付着するとそこで発芽し、菌糸をのばすことはよく知られていますね。それと同じように、池や川の水の中にもミズカビやその仲間の胞子がたくさん泳いでいて、水中の栄養物に取り付くのです。ここで「泳ぐ」という言葉を使いましたが、これが正にそのものズバリで、ミズカビの胞子は本当に「泳ぐ」のです。その名も「遊走子」(「遊泳子」の方がよさそうにも思えますが)。これがミズカビの真骨頂です。
ミズカビの遊走子は、図1のような形をしています。大きさは数ミクロン。種類によって違いますが1、2本の毛を持ち、この毛を動かして泳ぎます。それも、ただ闇雲に泳ぎ回るのではなく、水中の養分の濃い方へ向かって行く性質があり、最後にはその養分の発生源にたどり着いて発芽する、というわけです。空気中を風任せに飛んでいる陸棲の胞子と比べて、実に効率のよい方法ですね。あの原始的な形態の中にこれだけの機能が詰まっているのは驚きです。まあ人間でも始まりは似たようなものではありますが。
図1 ミズカビの遊走子
ミズカビ釣り
魚を飼うのにはやっかいなミズカビですが、菌体だけを見ると、けっこうきれいな綿毛状です。こいつをエサで釣ってみましょう。方法は簡単です。
まず、透明なガラスビンなどに水を汲んできます。池でも川でも水田でもかまいませんが、あまりにきれいな渓流の水などでは獲物が少な過ぎますから、溜まり水のほうが適当です。ただ、汚なすぎる水では他のバクテリアなどが繁殖していますから、ミズカビ釣りには向きません。見た目には無色透明の、無臭の水で十分です。それでも自然の水には、無数の胞子が潜んでいるのです。
汲んできた水は、透明なガラスビンに2/3ほどまで入れます。インスタントコーヒーの空きビンや、大きめのコップが適当でしょう。これで釣堀ができました。次はエサです。養分のあるものなら何でもよいのですが、よく使われるのはスルメです。養分が多く、長時間水に浸けても形が崩れにくいからです。5mm角ほどに切ったスルメを糸で縛り、釣り竿として用意した割り箸の中央からぶら下げ、図2のようにビンの口に割り箸を渡してスルメを水中に吊り下げます。もしスルメが浮いてしまうようなら、ボタンなどを重りとしてつけるとよいでしょう。図3には、実物の写真を示しています。
図2 ミズカビ釣りのセット
図3 ミズカビ釣りセットの実際
このとき注意が必要なのは、スルメを水面近く、水面から1〜2cmのところにぶら下げることです。実はミズカビは酸素が好きな菌で、一方、水中の他のバクテリア類は酸素が嫌いなものが多いですから、水中深くの酸素が少ないところに吊るすと、酸素嫌いのバクテリアが優勢になって、ミズカビが負けてしまうのです。
汲んできた水がかなりきれいな場合は、このまま放っておけばよいのですが、水中のバクテリアが多い場合は、たとえ水面近くにスルメを置いていても、バクテリアが繁殖して腐ってしまいます。そこで、スルメを浸してしばらくしたら引き上げてしまい、ビンの中の水を捨てて洗い、代わりに水道水を入れて、再びスルメを戻します。このようにしても、初めにミズカビの遊走子がスルメに到達していれば、菌糸が生えてきます。問題は「しばらく」とはどのくらいの時間か、ということですね。十分に遊走子を付けてやろうと粘りすぎると、バクテリアもたくさん付いて腐ってしまいますし、早く引き上げすぎると、ミズカビ自体が釣れません。私の経験では、見た目に無色透明な水の場合で30分〜数時間、というところでしょうか。もちろん水の状態や温度によって差がありますから、このあたりは何回か試してもらうほかありません。また、その後も1日に1回は水を替えたほうがよいでしょう。
うまく遊走子が付けば、2、3日で菌糸が見えてきます。こうなればしめたもので、腐らないように水を取り替えて行けば、菌糸はどんどん伸びて、きれいな綿毛のボールができてきます(図4)。
図4 釣れたミズカビ
ミズカビの増殖
ミズカビボールをしばらく飼っていると、白い綿毛の先が少し黒っぽくなってきます。そこで、少しもったいない気がしますが、ボールから菌糸を一部ちぎって顕微鏡で見てみると、図5のような、野球のバットのような形の袋が見えるはずです。これは遊走子嚢と呼ばれるもので、中にはたくさんの遊走子が詰まっています。
そのまま観察を続けると、遊走子嚢が開いて遊走子が泳ぎ出すところが見られるかもしれません。遊走子嚢の開き方や遊走子の泳ぎ出し方は種類によって少し違っています。よく見られる種類では、遊走子嚢の先端が溶けるように無くなって中の遊走子がどっと脱走し、出口付近で大きな塊を作ります。ここで一個一個が殻を脱ぎ捨て、第二段階の遊走子(二次遊走子)になって泳ぎ出します(ワタカビ)。また別の種類では、遊走子嚢の中で殻を脱いで一個ずつ泳ぎ出し、後には殻だけが詰まって網目状になった遊走子嚢が残る、というものもあります(アミワタカビ)。私は残念ながらアミワタカビにはお目にかかっていませんが、それほど珍しいものではないようなので、色々なところから水を採ってきて調べてみれば、目にする機会はあるでしょう。
図5 遊走子嚢と遊走子の脱走(ワタカビの場合)
遊走子嚢のでき方も種類によっていろいろです。あるものでは一個の遊走子嚢の根元から別の菌糸が枝分かれして伸びてその先に新たな遊走子嚢が付きますし、またあるものでは、遊走子が出て空になった遊走子嚢の底が空の嚢の中にせり出してきて新しい遊走子嚢を作ります。
栄養状態がよい所では、ミズカビはこのようにどんどん遊走子を作って増えて行きます。オス、メス関係なく単独で増えますから、これは無性生殖、ということになります。ところが、周りの環境が悪くなると(例えば、ミズカビ釣りをした時のように頻繁に水替えをしている場合などは、エサのスルメ以外には養分がありませんから、ミズカビにとっての環境はどんどん悪くなっています)、図6のような妙なものが出現します。
図6 ミズカビ類の卵
イガグリ坊主が何やら失敗をしでかして、思わず手で頭を押さえた、という風情でしょうか。この坊主頭の方が造卵器、手の方が造精器と呼ばれる器官で、花のめしべとおしべに当たる物だと思えばよいでしょう。これがくっ付くことで受精し、坊主頭の中に卵(卵胞子)ができる、つまり有性生殖をするのです。この卵は、遊走子と比べて丈夫な皮を持っており、少しぐらい環境が悪くても、長い間生き延びることができます。このような卵を作るので、ミズカビの仲間は卵菌と呼ばれるのです。
キノコとカビ
有性生殖をするとは、なかなか高等なヤツだと思われた方もいるでしょう。でも、シイタケでもコウボでも、ほとんどの菌類は有性生殖するのですよ。まず、シイタケなどのいわゆるキノコ類ですが、我々が通常キノコと呼んでいるのは、胞子を撒くための花に相当する部分です。菌の本体は土の中や木の中に、まさにカビのような状態で菌糸を伸ばしており、その中で異なる個体が接合して、やがてキノコを形成し、胞子を多量に作るのです。コウボの場合も、通常は細胞分裂で増えて行くのですが、2個体が接合して、中に胞子を作る有性生殖もあります。普通にカビと呼ばれているアオカビ(ミカンによく付くヤツです)やコウジカビ(これをコメに生やしたのが、酒造りに使われる米麹です)、ミズカビに近い種類のケカビなども、無性生殖だけでなく、ちゃんと有性生殖をする種類がほとんどです(無性生殖しかしない種類もあることになっていますが、単に有性世代が見つかっていないだけの場合も多いと考えられています)。なお、念のために言っておきますが、「キノコ」と「カビ」という区別は本質的なものではなく、胞子を撒くための大型の器官を作るものを「キノコ」、作らないものを「カビ」と言っているにすぎません。
カビはリサイクルの先駆者
とかく毛嫌いされるカビですが、カビの仲間がいないと、地球は大変なことになります。酒が造れなくなる? それもそうですが、カビの役割はそんなものではありません。生物界全体が成り立たなくなるのです。
以前は、キノコやカビ類は、光合成ができない下等植物という扱いでした。「動ける生物=動物」と、「動けない生物=植物」の2つに大きく分けるとすれば、キノコやカビは植物に入れるしかなかったのでしょう。しかし現在では、動物にも植物にも属さない、「菌類」という区分けが定着しています。「植物」は太陽光を使って栄養分を生産する役割を、「動物」は植物が生産した栄養分を消費する役割を、そして「菌類」や他の細菌類などは、動物や植物が蓄えた栄養分を分解して元に戻す役割を担っています。つまり、菌類は生物界のリサイクルの要ということです。
魚やスルメに生えたミズカビも、栄養分をリサイクルする重要なはたらきをしているわけです。そういう目で見れば、ただ単に「汚い」というのとは違った風に見えてきませんか?
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